読者の方の中には渋谷系に青春を注いだなんて人もいるのではないでしょうか?
今回はそんな渋谷系音楽とそれらの活動を支えてきたデザインについてお話ししようと思います。

改めて、渋谷系って知っていますか?
渋谷系とは80年代から90年代初頭までに流行した音楽のムーブメントです。
当時は、日本の音楽媒体の主流がレコードからCDに変わりだしていた時期でした。
それにともない、流行曲だけでなく過去にレコードとして発売された様々なジャンルの音楽が若者たちに届くようになりました。
そんな時代の動きをより加速させる要因として、渋谷という街に集まるたくさんのレコードショップでした。みなさんも聞いたことであろうタワーレコードやWAVEがその最たる例と言えるでしょう。
外資系のレコード会社によって、かつては手に入らなかった海外の古い名曲の数々やインディーズ文化はCDという形となって、それまで聴いたことのない音を若者の町、渋谷にもたらしていきました。
その動きがやがて高いリテラシーをもった「渋谷系」というムーブメントを生み出すこととなりました。
渋谷系の盟主たち
そんな「渋谷系」サウンドを考える上でやはり外せないのがフリッパーズ・ギター、ピチカート・ファイヴ、オリジナル・ラヴの3つのバンドでしょう。
彼らが同時期に活動していた89年~91年は空前のバンド・ブームで、全国的に流行していきました。(有名どころで言うと THE BLUE HEARTSやユニコーンなどでしょうか。)
その中で彼らは、それまでのバンド・ブームとはまるで逆をいく、ポップスという普遍的な音楽性を武器とした、決して時代に迎合しない音楽を作っていき、音楽ファンの大きな支持を得ました。
そんな彼らに反応したのが雑誌『olive』の読者、いわゆるオリーブ女子でした。
彼女たちは音楽だけでなく、そのファッション・センスやアルバムのジャケット・デザインなどにも敏感に反応し、その結果からか、
アニエス・ベーのボーダーシャツやベレー帽が渋谷系ファンのひとつのアイテムとして成り立つようになります。
同時にそれは渋谷系というイメージの誕生を意味していました。
渋谷系とデザイン
先ほども触れましたが渋谷系という新しいムーブメントに呼応するようにCDジャケットにも今までになかったアートワークがほどこされていくようになりました。
デザインの本質は設計です。
こうした新しいムーブメントをより、消費者に伝えていくとなれば既存の表現では伝わりません。
なんせ今までになかった音楽です。
だからこそ文字の使い方、色使い、パッケージングする素材、印刷手法などそれまではやってこなかったことに挑戦していくのはデザインの本質としては当然の流れでした。
渋谷系デザインの盟主 信藤三雄
信藤三雄は渋谷系のジャケットデザインにおけるVI(ヴィジュアルアイデンティティ)を設計した人物と言っても過言ではないからです。

CAMERA TALK

ヘッド博士の世界塔

ベリッシマ
フリッパーズ・ギターやピチカートファイヴの名盤の画像です。
これらのヴィジュアルを全て信藤三雄はデザインしてきました。
ここに上げた画像はほんの一例ですが、この他にもユニークなジャケットデザインにあふれているのが信藤三雄の、そして渋谷系のデザインなのです。
信藤三雄のデザインの特徴を挙げるとすれば、文字(大きさやフォント)を最大限に活かし、
3D写真などを利用した特殊ジャケット、プラスティックの外箱をつけたパッケージなど、CDという既存の媒体をフル活用にしたところにあります。
その多くはジャズのアルバムや海外の雑誌、広告などを参考にし、商品パッケージとして有効であることを前提にしたデザイン、時代のアイコンになるようなデザインを念頭に作られています。
そう言う意味では渋谷系のデザインは実にコラージュ的と言うべきでしょう。
それはレコードからCDへと移行するその時代に、ジャケット・デザインを手がけ始めたのも一因かと思われます。
また、ジャケットをカラー・コピーで入稿することも多く、その色彩感が独特だったといったことも特徴のひとつに挙げられるかもしれません
信藤三雄の作品集は本当に見応えがあります。
もし興味があればご購入を検討してみてはいかがでしょうか?
まとめ
渋谷系以前は、ロックと言えばこれ。アイドルで言えばこれ。ポップスと言えばこれ。
そんな既成概念に満ちていた時代でした。
それを壊すことこそが渋谷系音楽の始まりでもありました。
海外からもたらされた新たな知識、形式が日本の独自の音楽と混じり合い、コラージュのようにまったく新しい姿となる。
だからこそデザインもまた新たな姿へと変化していく。
渋谷系に求められたのは既成概念をぶち壊すユニークさ。
それはデザインにしっかりと刻み込まれていると思います。