望まれるオリンピックになるにはストーリーが必要だった?
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ふだんはこんなこと絶対SNSには書かないんだけど。情報戦略のプロとして、そして一人の国民として、オリンピックと緊急事態宣言について考えたこと。 pic.twitter.com/AHnqN2vOjk
— 三浦崇宏 GO (@TAKAHIRO3IURA) July 10, 2021
広告業界にいて知らない人がいない有名人The Breakthrough Company GO 代表取締役の三浦さんがこのようなツイートをされていました。
このツイート内容の是非は置いておいて、考えとしては共感できたりてきなかったりと複雑な思いを感じました。
具体的な内容はぜひ、三浦さんのツイートを参照ください。
かいつまんで説明すると、
オリンピックの意義を国民目線になってストーリーを展開してしっかりと情報発信していけば、きっと誰もが望む形のオリンピックになり得たのではないかという主張です。
これに関しては確かにその通りだなと思う一方で、いかにも広告屋の考えることだなと思いました。
三浦さんの主張としては情報発信に問題があったという提起でこれについてはよくわかります。
オリンピックは二転三転を繰り返し、誰かの得のために気がつけば観客を入れての開催、酒類の販売を認めるという話になり、また話が転がって今では無観客開催となりました。
それに対してIOCが批判を表明するというグダグダぶり。
その上、あくまで自粛要請という立場でありながら従わない飲食店へ圧力をかけるために金融機関に働きかけようとまでする暴挙。
結果だけ並べると何をどう見ても誰もが望むオリンピックには程遠いと思います。
そんな中での三浦さんの主張は確かに必要だったと思います。
国民目線で多数の方が幸せになるためのストーリーをしっかりと発信し、そのスタンスで行動していれば、結果に対しての理解は得られたことでしょう。
そこは確かにその通りです。
ですが、それは良くも悪くも広告としての目線だなと感じました。
ストーリー構築は広告(プロパガンダ)の手法
何かの目的のためにストーリーを構築して、発信していくというのは広告の常套句です。
広告とはまさしく目的のためのストーリーを人々に植えつけていく行為です。
過去の歴史を紐解いていけば戦争に広告はつきものでした。いわゆるプロパガンダというやつです。
これこそ、まさに戦争の正当性をいかにストーリーで仕立てて、発信していくかが大事で、実際にその影響を受けてきたことは歴史の教科書にすら載っている事例です。
オリンピックと戦争が置き換わってるだけで、三浦氏の主張はまさにプロバガンダそのものですよね?
広告における情報の発信は確かに重要です。
問題はその情報が誰かにとって都合の良いものであることを忘れてはいけないという点です。
結局、どれだけストーリーを構築して、皆が幸せになれるオリンピックを目指そうという主張は実に空虚で、
この現状を見てしまうとオリンピックで美味しい思いをする人たちのために広告はあるのだなと改めて再認識しました。
どれだけ聞こえのいいストーリーを発信しても真実は残る
結局、広告っていうのは虚行です。
誰かの都合で存在して、あたかもそれが真実のように語るためのものです。
もちろん、それは僕たちの生活の中では必要とされる瞬間も確かに存在しています。
通常の健全な世界でオリンピックが行われていたらきっと、素敵なストーリーが街を埋め尽くしていたことでしょう。
しかし現実はそうなりませんでした。
いまだにウイルスとの戦いが続いています。
果たして、そんな状況下で望まれるオリンピックというものは本当に必要なのでしょうか?
それは発信されるべき情報なのでしょうか?
僕はそこに同意できませんでした。
なんにせよ、良くも悪くも三浦氏は広告のプロであり、正真正銘の広告屋なのでしょうね。