高輪ゲートウェイの駅名表記が明朝である意味ってあるの?

高輪ゲートウェイは建築家 隈研吾さんがデザインしたことで話題となったJRの新しい駅です。


駅舎に大きなガラス面を設けて開放感をだしつつ、木材を多く使用することで、

温かみのある演出が施されているのが特徴で、和を全面に押し出したデザインとなっています。

 
高輪ゲートウェイ写真
https://www.fashion-press.net/news/16477より引用
 

そんな3月14日に開業が予定されている高輪ゲートウェイ駅ですが、駅名の表記でやや話題となっています。

 

 

 

このように批判が寄せられていました。

 

 
 

では、ここで駅名表記を明朝にした理由を考えてみようと思います。

まず1つにこの駅のコンセプトが和であることがあげられると思います。

だからこそ、木材をふんだんに使用し、和のイメージを空間で表現しているわけです。

ここで大切なことは和というイメージです。

 

問題となった駅名表記のようなサインデザインはこのような公共、商業施設にはかけがえのない要素の一つです。

ある意味で、こちらのサインデザインも空間デザインの一環と言って良いでしょう。

だからこそ、見づらさを承知の上で、

明朝体でサインデザインを行なったというのが今回の理由ではないでしょうか。

つまり、和のイメージの統一感を維持したかったということが推察できます。

 

なぜゴシックではダメなのか

 

では、なぜゴシック体ではダメだったのか。

これはやはり全体の統一性という部分にあると思われます。

文字の性質として、ゴシック体は誰もが見やすいように文字設計がなされているのでサインなどのデザインにおいては使われることがほとんどです。

その分、どうしても文字の形状が太くて和のイメージからは離れてしまいます。

こうしたイメージの齟齬から明朝を選択したのではないでしょうか。

 
 
 

 
 

デザインとして切り捨てなくてはいけない部分

 

ゴシック体がサインデザインに多く使われる理由は明白で読みやすいからです。

この読みやすさというのは非常に重要です。

どこに何があるかが一目でわかるように図や文字で補足するのがサインデザインです。

そういう意味で言えば、サインデザインの優先順位はとても高いのがわかると思います。

 

今回のように全体の和のイメージのためにサインデザインの可読性を弱めてしまうのはあまり良い手段ではなかったのではないかと思いました。

そもそもの話、和のイメージを維持したいから明朝というのもやることが妙に中途半端だと言わざるおえません。

ゴシック体でも和のイメージを維持することは可能ではなかったのではないでしょうか?(あくまで僕個人の意見です)

今回の件は根幹にある和のイメージに妥協できなかった故に起こった事例ではないかと思います。

 

これは仕事の現場でも往々としてある話なのですが、デザインのコンセプトとユーザビリティの両立がどうしても難しいという場面が多々出てきます。

 

そういう時、優先すべきなことは何なのか。

今回の場合、優先したのは和のイメージでした。

これが逆にユーザビリティを優先したとすれば、

一部の人からはサインのみ和のイメージから取り残され野暮ったいなどと批判が出ていたことでしょう。

 

そういう意味で、今回の明朝体問題は決して間違いというわけでもないのではないでしょうか。

そんな感じで今回はここまでにしようと思います。

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