JR日暮里駅の看板がツイッターで話題となっていましたので紹介しようと思います。
日暮里は古くから猫が多い街で知られているらしく、街のイメージキャラクターなどにも猫を採用してきたとのことでした。
そういった風土からもこちらの駅名フォントのデザインは個人的にとても良い取り組みだと思いました。
これは街全体で培ってきた猫というモチーフを実に上手く落とし込んだ企画ではないでしょうか。
実際のところ、こちらのフォントデザインは本当にちょっとしたあしらいを行なったにすぎません。
デザインとしての手間はそれほどかかっていないと思います。それでも大きな反響があるのはまさしく正当なデザインの勝利と言わざるを得ないと思います。
結局、デザインはいくら手数を加えて、細部を気にしても根幹がしっかりしていなければ機能しないのだと改めて教えてくれました。
そういう意味でも企画としてデザインを成立させる好例ではないでしょうか。
一方で引き合いに出されてしまうのがやはり最近話題となった高輪ゲートウェイでしょう。
高輪ゲートウェイと日暮里駅の「猫フォント」の違い
どちらも特異なことをサインデザインに施しているというのは変わりありません。
では、高輪ゲートウェイは批判され、日暮里駅は好評を得たのか。
可読性など色々な要素があるかと思いますが、一番は何よりその文字の親しみやすさにあるのではないかと思います。

明朝でデザインされたこちらのサイン。
和の雰囲気を大切にしたいというコンセプトは理解できますが、それを加味しても、やはりあまりにやっていることが中途半端です。
つまり狙いたい効果がデザインで落とし込めていないということです。これではただ可読性を弱めただけという印象にしかなりません。

一方でこちらは日暮里駅のデザインです。
ここで明確に違うのは猫というモチーフを落とし込むという根幹をしっかり投影させたデザインであるということです。
言い換えれば半端なことをせずやり切っているっていうことです。
また、可読性という意味でもゴシック体をベースにしている分、多少は担保されています。
こういった要素から高輪ゲートウェイと日暮里の明暗が別れたのだと思います。
物事を客観的に見るということが大切
この例からわかることは客観性がいかにデザインやコンセプトを立案するに当たって大切かということです。
主観で前のめりに物事に囚われてしまうとデザインは簡単に誤った方向に導かれてしまいます。
高輪ゲートウェイの例で言えば、前のめり前のめりに和というイメージに固執したために起きた失敗でした。
固執というものは常々デザインに寄り添う大きな問題です。
方向性を見出してそこに必死に突き進んでいくからこそ生じるジレンマと言えるでしょう。
客観性を養うにはそういったジレンマとも真正面から向き合わなければなりません。
まとめ
今回の例から分かるようにデザインや企画を進めていく上で大切なことは、いかに客観性を持つかです。
物を作るという行為は前のめりなりがちです。
だからこそ、いかに自分自身の目線を客観的に保つかが重要になってくるのではないでしょうか。