こんな時代だからこそ読みたい ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

分からないことは息苦しい

 

 

本当にここ数年のことでしょう。
ある時を境に妙に世間ではグローバルやダイバーシティーやら、LGBTやら妙に聞きなれない単語が騒がれるようになってきた。
TwitterなどのSNSを見ていてもその流れは妙に顕著で、何か違和感があったのを覚えています。
僕は日本で生まれて本の教育を受けて育ってきたステレオタイプな日本人です。
父と母いて、姉と弟いて、当たり前のように進学をして、会社員となって数年の身。
そんな人間であるからかもしれません。
世間で騒がれる分断や差別、格差、思想といったものにはイマイチ関心もなければ実生活の中でそれを実感することもありませんでした。

 

自分の今までの経験や学びにはない思想がここ数年で目まぐるしく襲いかかってくるのです。
そして、それに対して無知であることは恥なのだという風潮。
数年かけてその風潮は常識となって、僕はどうも真綿で首を絞められる気分でした。
普段の自分の生活だけで精一杯なのに、どうして興味もない事柄に対して関心を持たなければ悪となるのか。
雇用などに対する女性軽視問題? 確かにとても大きな問題です。
自分の性に対するアイデンティティ? そうですね、とても大切な問題だと思います。
貧困による教育格差の問題? 熱心に考えるべき問題ですね。

 

ありとあらゆる答えの出ない問題。
それが目まぐるしく襲いかかってきて、それに対して君は是なのか否なのかと問われる。
それに答えない人間は無知で、他者への共感もなく、現代社会にそぐわない。
何とも息苦しい話です。

 

 

 

頭の外にあることと思っていました

 

 

僕はデザイナーという仕事をしています。
勘違いされやすいですが、デザイナーの本質は絵を描くことではありません。
デザイナーとはコミュニケーションの設計者です。
伝えたい意図に対して視覚的なテクニックを駆使して、他者にそれを伝えていくのがデザイナーの仕事です。
つまり、デザイナーとはどこまで行っても、他人の思想の受け渡しをする役者なのです。
他人の思想など正直、興味ありません。伝えたい意図など知ったことないです。
本音を言えば自分で伝えなさいな、と言ってやりたくなります。
それでも、この仕事をしているのは自分の持ちうる技術でその目的を達成することにやり甲斐を感じているからに
他なりません。

 

そんな僕ですから、自分の脳みその外側にある思想や格差、差別と言ったより大きな領域の問題になど手に負えるわけがありません。
まして、僕はその他大勢の日本人です。
性の格差も差別も貧困も、自分の経験にはない。
それが何とも歯がゆい。同時に不快なノイズでもある。

 

これらの経験がある人からしたら、僕のような無関心な人間が悪なのは想像がつきます。
その人たちを本当に苦しめているのはきっと無理解な僕なのでしょう。
だから声をあげるし、怒るし、理解を求めようとする。
それは自然な事です。
無関心なままでいる。
それはきっと良くない事なのは僕にも分かります。

 

そんな時ふと目についた本がぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルーでした。

 

 


ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

 

 

身近なところにこそ潜んでいる

 

 

この本はブレイディみかこ氏が英国で生活する中学生の息子との学校生活の中にある様々な社会問題を取り上げた一冊です。
そこには貧困による格差や人種差別、他者について考えるということを主人公が息子ととの実生活の中で学んでいく姿が描かれています。

 

人種や貧困という問題は決して大人だけの世界ではなく、子供たちこそより身近に寄り添っている。
例えば、こんな話がありました。
主人公の息子が市主催のプール大会に出場しました。
そのプール大会では学校ごとに対抗で試合をします。
いざプールサイドに向かうと、
私立校の子供たちはきちんとした競泳水着を着ながら悠々と準備運動をし、一方で公立校の子供たちはくたびれた水着ですし詰め状態。
誰が決めたでもなく、自然とそういう風に2分されているのです。

 

プール大会はもちろん私立校の子供たちの圧勝です。
きちんとした競泳水着で体格も公立校の子供たちよりもずっと立派。フォームもしっかりしていてアスリートそのもの。
そこにあるのは明らかな貧困の差です。
貧困とは個人の努力だけではどうやっても覆せない差です。
私立校の子はお金があり、専門的な教育を受け、そしてめいいっぱい食事をします。
育ち盛りの子供たちにとってこの差がどれだけ大きいかは想像しなくても分かることでしょう。

 

こうした差はどこの国であろうと変わりません。
近年、アメリカではバニーサンダース上院議員がかかげる民主社会主義が若者の間で支持を集めました。
大学無償化や国民の保険制度の導入などのマニフェストの数々は貧富の差が激しいからこそのものでしょう。
このような時代の流れは決して他人事ではなく、身近な社会(学校)にすら根付いているのです。

自分で想像するよりも問題は身近で根深いものです。
この本にはそんな様々な問題提起がなされています。

 

 

 

自分の考えを持つべき「時代」だからこそ読みたい

 

 

読み終わって気づくのは、ノイズとして切り捨てていたものは決して見過ごして良いものではないということでした。
ある意味で目から鱗というものを味わった瞬間だったかもしれません。
意識しなければ気づけない問題というよりも、気づかないフリをした方が楽というのが本音であったのだと分からされるのです。

 

今、日本はコロナという経験したことのない災禍に見舞われています。
毎日のようにメディアでは誰が悪い悪くない。SNSでも不安を紛らわすために敵を探す日々。
色々な思想が言葉となって飛び交っている毎日です。
まるで毎日誰かに責められているような気がして滅入る日々ですが、だからこそ向き合うべき時なのかもしれません。

 

色々な思想が錯綜するからこそ、自分の考えを持つべき時代と言えるのではないでしょうか。
そんな時代だからこそ、このぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルーは等身大の問題として
捉えるヒントとなりうるのではないでしょうか。

 

 


ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

最新情報をチェックしよう!